僕(やまなび管理人)の仕事遍歴です。
登山以外の雑記ブログのネタを探していたら、現職大手人材紹介会社の友達から自身の業界チェンジネタを紹介してみては?と。流石、ネタのチョイスが人材業界におるだけあるな。
出版業界TOPから医療業界TOPへの華麗なる?転身経験はなかなか貴重だとの感想を頂いたので、記載してみることにしました。読んで頂くとわかりますが、全然華麗ではなく、むしろギリ?orアウト? 誰が興味あるかは不明ですけど。
新卒から現在までの職歴
① 新卒
まだNETなど(通信手段はポケベル笑)もなかった就職氷河期世代で、本が好きだった事から出版社に漠然と憧れており、軽く100社以上に応募し何とか4社の内定を獲得したが、単に出版社だという幼稚な認識だけで、株式会社学生援護会(ゴリゴリの求人誌営業会社)に営業職として入職してしまう。
② 学生援護会 (地方求人誌・発行部数不明・在籍1年9ヶ月)
当たり前ではあるが、志望していた業界や業務とは遠くかけ離れており、仕事が全然面白くない・営業手法が論理的ではない・非効率な飛び込み営業を推進・意味わからん目標数字設定・上司や先輩のパワハラ指導・有休は使えないし、そもそも知らされない、と直ぐにヤル気がなくなる。
学生時代のアルバイトの方がヤル気に満ち溢れており、こんな仕事に興味さえ沸かず、漠然と転職を考えているなか、同僚の友達(トニー・上記現職大手人材紹介会社の友達)から本物の在阪出版社での募集を教えてもらい、面接を受けに行く。
③ 出版社A (関西メディア・発行部数数万規模・在籍12年)
100名を超える応募があったそうですが、何故かダントツで採用された(運命だったのだと思う)。ファッション誌関連の広告部(代理店営業)に配属され、前職の憂さを晴らすように一心不乱に仕事に邁進する。この入職時から自分をバリバリ成長させ、世間でどこまで勝負できるか、やってやるぜっ!と真剣に頑張りました。仕事はハードだけど、めちゃ楽しかったしね。
初年度は新人賞を受賞し、速攻で主任へ。その後親会社への統合等色々あったが乗り切り、僕自身は1媒体の編集広告統括から編集長兼広告統括、最後は第二編集局 局長に就任して、結局この出版社のNo.5にまで上り詰めた。仕事が楽しかった、この頃は人生初の仕事黄金期だった。
④ 再び転職活動
出版社Aで計12年間勤務したが、この期間にWEB業界が飛躍的に発展していき、雑誌や紙媒体での限界を感じるようになる。もちろんメディアミックスや新規イベント開催、媒体のWEB化にも着手していたが、出版社を後ろ盾とした自身の力では時代に逆らえないと気付いてしまい、悩みに悩んだ末に再び転職活動を開始。この時、転身には3年から5年は必要だと予測していたし、友達や身内からも半分反対されていた。出版社Aに留まれば、何れは社長になるんじゃないかと言ってくれる友達もいたけど、未来が見えたので仕方がなかった。
⑤ 地方出版社B (地方メディア・発行部数数千規模・在籍1年)
リクナビネクストからのスカウトを受け、何度も面接に呼ばれた地方媒体の事業部長として着任。結果、こちらも面接で何回も聞きまくった財務状況が全く異なっており、出版社Aよりも悪い状況だった・・・騙されたね笑 事業も②の根性論系営業に自社生産の手配り雑誌をくっつけた様なものだった。
③の出版社Aの方がまだ起死回生のパワーコンテンツは豊富にあったし、ここBにはほぼ無かったので、1年間だけ外部へのコストカットを中心にできるだけの整理と処理をして退任(僕の年収以上に無駄な経費は削減しといた)。この転職は大失敗、もっと事前に実情を深く調べるべきだったし、そもそも出版から出版なんて転身の意味が無かった。また今ではバカバカしいけど、この時期まで有給休暇なんて使った事がなく退職した。社畜の阿呆デス。
⑥ 就活待機時期 その1
ここから、医療法人Cに入職するまでが人生で一番苦しかった。キャリアとしては未だ出版社しかないので、編集長経験者といっても転用が効かない。編集長なんて資格でも何でもなくて、実際は優秀じゃなくてもなれるしね。民間のWEB求人や人材紹介エージェント、ハロワなども活用して転職活動したけど、なかなか理想通りにはいかなかった。
そんななか有り難い事に近所の友達のにぃやんが水道工事業を営んでおり、頭を下げて転職活動中にアルバイトとして雇って貰えた。これが非常に経済的にも精神的にも助かった。にぃやん、本当にありがとうございましたm(__)m それから数ヶ月して比較的採用条件の良かった、保険代理店の広報部主任としてなんとか就職できた。
⑦ 来店型保険代理店 (在籍半年程度)
個人投資家となった今では、保険そのものに大変否定的な考えを持っているが、当時でもあまり好きな分野ではなかった。まぁ贅沢言える立場じゃないんだけど一応、広報部配属だというのでまだ良かったのだが、店舗配属の方は入職当時から既にボロボロだった。離職者が異常に多く、店舗数に比べスタッフ数が足りないのに、本部が抜本的な改善を行わないので悪循環を繰り返すだけ。本部というか経営者がアホだったのです。
一方の広報部はというと、経験のない新卒上がりの何もしない若い女子しかおらず(社長が採用した取り巻き連中)、立て続けに出店する新店舗の立ち上げで、僕だけは姫路・梅田・難波など毎日飛び回っていましたが、それらの新規出店が一段落すると、何の相談もなく、保険の知識もほぼないのに店舗運営に回された。広報部主任はどこいった? その頃には、この会社に未来がないのは充分把握していたので、試用期間で辞めた。
⑧ ブラックテレアポ会社 (在籍2ヶ月程度)
さて、無職で過ごす訳にもいかない。取り敢えずもう何でもいいやと武者修行気分(自暴自棄?)になり、明らかにブラック企業のコールセンターへ就職した。ネット回線やプロバイダーを電話だけで販売する部門。殆どが時給に釣られたチャラいアルバイト達で、センターといっても社員は部門内で僕を含めても3名だけ。
社長は怒ると金属バットで壁を殴るような歳下のヤンチャな奴。まぁ0からの修行だと思って一生懸命してたら、同僚の社員達からは何だかんだ好かれて何故か面接官もしてたけど、ある日バイトの小ヤンキー君が屑なミスして大クレームに発展、僕が代わりに何とか収めてからも、そいつはまだヘラヘラしてたのでマジギレ注意したら、そいつも辞めたけど、何故か僕も解雇された・・・はぁ?? ここの社長の数少ない良い所が、退職にあたり自ら話しをしたこと。「仕事が出来ないのではないな・・・何故だろ・・・」と言ってたのが印象的だったな。最後の働いた分の給与は期日には振り込まれなかったので、僕なりに優しーく経理に電話したら即日振込みされた。
⑨ 就活待機時期 その2
もう一度、にぃやんの水道工事業でアルバイトしながら(皆からお帰り~言われた笑)、キチンと業界選定して納得のいく職じゃないと続かないと気付き(遅いわ!)、将来性や社会的意義、自身の年齢と経験を考えると、インフラ系や医療介護方面での再度転職活動を行う。
インフラ系は流石に受けれるとこも無かったけど、1つだけ病院で新規事業(訪問診療)立ち上げの求人あり。新規立ち上げは、これまでも新媒体や新イベント、店舗立ち上げなど色々経験しているし、楽しそうなので受けてみる事にした。
⑩ 医療法人C (在籍4年弱)
これまた100名以上の応募があったらしいけど、採用枠3名の1番目に採用された。それもそのはず、部署には部屋とノートPCが1台あるだけで、他部署より寄集められた窓際職員のおじさん1名、パートの女性2名しかおらず、仕事の仕組みもパンフも契約書も得意先も机さえ、何一つ無かった。正に精神と時の部屋へ放り込まれた笑 ロクな指示もなくほぼ放置された状況での事業立ち上げ。後でわかったんだけど、法人内の誰も知らない新規分野だったので、指示も何もできなかったみたい。それにしても何という事業立上げの無計画さ笑 新人に全てを任せて新規事業を立ち上げさせるなど、聞いたことさえない。
ここから毎日早朝出勤、夜中まで勤務し、業界の事を調べまくり、医科算定や契約書の雛形を作成したり、チャットワークやGドライブなどを導入したり、ローラーの飛び込み営業に行ったり、医師や看護師と議論したり、出来ることは何でもしていたら、入職半年程度で事業が何とか軌道に乗り、いつのまにか訪問診療部の部長になっていた。でも給料はほぼ変わらず、初の賞与が額面でなんと3万円だった笑 その頃には窓際職員は全員退職しており、中途採用の仕事ができる正職員がどんどん増えていった。
ただこの法人も、3年もすると経営陣の不正・腐敗に気が付いてしまい、またそれは是正しがたい闇である事も正確に把握できるようになった。νガンダムは伊達じゃない!笑(経験値による判断の事です)
⑪ 医療法人D
医療法人Cに在籍している部門職員の大半は、僕と同じ見立てをしており、皆もこれは退職するしかないと考えていました。そこで部門の中核メンバーで話し合い、どうせ辞めるなら一か八かで独立開業をする事にしました。それほど経営陣と僕達の溝は深まっており、修復不可能な状況だったのです。
皆で計画を練って役割分担し、新クリニックの立ち上げを1から行っていきました。我ながら良く頑張れたと思うし、賛同して付いてきてくれて、一緒に戦ってくれたメンバーのお陰だと思う。皆、正に背水の陣だったからね。
そんなこんなで、現在は自分たちで立ち上げた医療法人Dに在籍している。その規模は既に前職の法人を軽く越えており、訪問診療部門は僕が引退するまでには関西NO.1にするつもりで拡大を続けている。僕の仕事はもはや最前線では無くなったが、指揮・統制・判断・雇用・新規事業立ち上げ等の管理領域はまた新たな勉強になっている。
さて、次は何をしようかな。
各社のその後
② 学生援護会 思出総評:△
an・DUDA・salidaという求人情報誌を立ち上げた会社で、幾度も外資系ファンドが介入してきたりしていましたが、インテリジェンスとの合併で社名はなくなり、そのインテリジェンスも現パーソルホールディングスの傘下となり社名消滅。僕が新卒時代に立ち上がったDUDA(デューダ)という媒体名だけが今でもひっそりと残っている。
③ 出版社A 思出総評:◯
僕が退任した後も、引き継いでくれた新規イベント等を後輩達が成功させていましたが、2020年に突然 第二編集局と広告部ごと全員解雇されることになったようです。また先日、たまたま元社屋を訪ねたら、既に更地になっていました・・・売却でしょうね。企業としては第一編集局等が残っており、存続はしています。解雇された二局は再就職が大変だったみたいだけど、今では皆何とかやっていっているようです。ただ、これは予測していたとはいえ、大変寂しいことでした。
⑤ 地方出版社B 思出総評:△
知った時には、既にかなり前に解散していたので詳細不明なのですが、僕が退任してから6年くらい??で、事業部はやはり解散となったようです・・・。1年しか在籍してなかったし、当時のメンバーが今どうしているのかも殆ど不明。会社自体は存続しているようですが、もはや出版社とは言えない業態じゃないのかな?
⑦ 保険代理店 思出総評:✕
そもそも保険は、相互扶助とかいいながら加入者達の高い保険料によって、保険会社の人件費・店舗費・経費・広告費などの全てを賄っています。真の相互扶助であるなら経費を極力掛けず、ライフネット生命のようにほぼNET販売でコストを下げるのが当然です。それ以前に、個人でキチンと貯蓄と投資を行えるなら、他人の怪我やリスクに対してまで相互扶助の精神で高い掛け金を払う事自体がナンセンスです。(自動車保険は除く)
その唯でさえ怪しい仕組みの保険の更に代理店業って・・・不要な経費2倍で必要だよね。この会社は経営が苦しくなり、会社自体を上場企業に投げ売った挙げ句、その後創業社長自身もクビになったようです。仕事できない無能だったからね、自業自得だよ。
⑧ ブラックテレアポ会社 思出総評:計測不能
ここは凄かったな・・・当然と言えば当然ですけど、僕がクビになって1年もせず倒産したようです。ある意味、自分の力だけで頑張って、精一杯背伸びして暴力まで顕示しつつ、あらゆるコンプライアンスを無視しながらでも、アルバイトを含め30名程度の雇用創生していた社長は、勉強にはなった。ただ、あれでは続く訳がない、経営学なんてほぼ知らないだろうからね。
⑩ 医療法人C 思出総評:△
ここもM&Aで、経営なんてド素人の詐欺師まがいが運営をしてみたけど、経営に関する知識・経験・見識・展望など、ガキンチョの戯れでしかなかったので、結局誰も付いて来ず、その詐欺師自身もクビになって、今は倒産間際に陥っている。ただ、医療機関は税金事業でもあるのでしぶといねぇ・・。まぁ、現経営陣も経営哲学が根本的に狂っているので時間の問題でしょう。でも仕事そのものはとても楽しかったな、良き同僚や取引先も沢山できたし。このあたりからが、人生二回目の仕事黄金期となっていきます。
振り返ってみて、今思うこと
よく友達や同僚、元上司から出版業界から医療業界へ、いい時期に転身したよと言われるけど、実際そうでもない。皆に話していなかっただけでかなりギリギリの精神状態だった事も多かった。それでも何とか頑張れたのは、
・色んな友達たちに助けてもらった
・誰かの名言で「生きているだけで儲けもん」が心に残ってた
・苦労した分だけビジネスや経営の本質が見えるようになった
・経験値から世情を冷静に判断できた
・最後まで諦めなかった
・元来、仕事が好きで働くのも好き
・良きパートナー達と出会えた
・元々、贅沢な性格ではなかった
・登山という趣味に出会った(リフレッシュできます)
そんな色々な要因と、日々の努力で今があると思います。
しかし僕の人生、これまではサバイバルでしたね。
今回はほんとーにやまなびに関係のない文字ばっかりの雑記となり、
どなたの役に立つかもわかりませんが、宜しければご参考までm(__)m